古今東西

言語化

言語化とは…?
感情や感覚、直感的なイメージを言葉にし、伝えること。
自分の思い・考えを、相手に伝達するための手段であり、自身が理解されるために必要なこと。
自分のイメージや思考を、言葉にするため、
そして他者により正確に伝えるためには、相応の語彙力(ごいりょく)が必要となる。
どんなに豊かな感情や、深い思案があったとしても、
自分の語彙の範囲でしか言葉にすることはできない。
『古今東西』は、言語化という課題と常に共にあるコラムニストの感情と思考を読み解くことで、
まずは、思いをことばやかたちにする、すなわち言語化することの大切さを学ぶコーナーである。

つた-える【伝える】《他下一》

❶そのものが媒体となって、他のものに移す。
「金属はよく電流をー・える」「作者の意図を読者にー・える」❷ことばで知らせる。「出発の日時をー・える」「ニュースをー・える」❸仲立ちをとおして告げ知らせる。伝言する。「彼には君からー・えてくれ」類語 言付ける。❹先人からことばを受けついで今に残す。言い伝える。「沼に竜がすむとー・える」❺代々受けついできて、あとの者に・残す(教え授ける)。「昔の情緒を今にー・える町」❻〔ある物・物事を〕よそからもってきて、そこに届かせる。もたらす。「海外から新技術をー・える」
『学研 現代新国語辞典 改訂第六版』(2020)株式会社 学研プラス

column_No. 04

秦 亜衣梨 Airi Hata

プロデューサー、「言語化サロンisee」主宰

雑誌好きが⾼じて⼤学在学中からフリーのライターとしてキャリアをスタート。
幻冬舎の⼥性誌『GINGER』では、創刊メンバーとして読者モデルやモデルの育成に⼒を⼊れ、CCCメディアハウスの⼥性誌『FIGARO japon』では、ファッションページのディレクションのほか、コレクションの取材を担当
コンサバ誌、モード誌の編集者として経験を積んだ後、デジタル動画メディア『MINE』の編集⻑に就任。メディアのブランディングに貢献し、⼥性のエンパワーメントを⽬的としたプロジェクトを企画。2020年に独⽴。
コンサルティングや、プロデュース業を⾏う傍ら、⼥性に寄り添うためのプロジェクトを企画。現在、第⼀弾として「⾔語化サロン isee(アイシー)」を運営中。現在、週に一回初回体験無料キャンペーンを実施中。詳しくはこちらから。https://bit.ly/2PyDpeC

Instagram @__hataairi__
Twitter https://twitter.com/__hataairi__

今、心に引っかかってることってある?

「なんか、モヤモヤしてます」


私が15 年強も続けた⼥性向けファッション誌の編集者を辞めて「⾔語化サロンisee (アイシー)」を始めたのは、冒頭の声を⼥の⼦たちから聞く機会があまりに多かったからだ。

雑誌を通して⼥の⼦たちを幸せにしたいと思っていた私は、彼⼥たちのリアルな声を企画に反映するため、読者に実際に会い、話を聞くことを⼤切にしていた。
彼⼥たちは、20代前半から30代半ばが中⼼で仕事を頑張っていて、おしゃれやヘアメイクにも⼒を⼊れて、私⽣活も充実させるためにジムに⾏ったり、お稽古をしたり。側で⾒ればとても輝いて⾒える⼦たちばかりだ。

「いま周りで何が流⾏ってるの?」
「どんなことが気になってる?」
「好きな芸能⼈やインフルエンサーは?」

そんな質問をしながら場が和んできたところ
で、いつも、こんな問いを投げかける。

「今、⼼に引っかかってることってある?」

すると、⼥の⼦たちはしばらく黙って、冒頭の⾔葉を発するのだった。

「モヤモヤ」という単語を辞書で調べると、

〈〈副・自サ〉〉⦅副詞は「ーと」の形も⦆
❶煙・湯気・もやなどが立ち込めるようす。
また、(もやがかかっているように)はっきりしないようす。
「ーとした湖面」「ーとした記憶」

❷〈〈名〉〉心にわだかまりがあって晴れ晴れしないようす。また、心のわだかまり。
「誤解が解けてーが消えた」

『学研 現代新国語辞典 改訂第六版』
(2020)株式会社 学研プラス

と書いてある。

つまり、彼⼥たちは、「わだかまりがあって⼼が晴れ晴れしない状態」を認識してはいるが、⼼が晴れ晴れしない「原因」までは追求できていないので、「モヤモヤ」という表現を使っている可能性が⾼い。
では、なぜその原因を追求できないのだろうか?
原因もさることながら、追求できない理由を知ることの⽅が、彼⼥たちを幸せにするためには重要な気がして、私は⼥の⼦と⽇常的に対話をすることに⼀層⼒を⼊れるようになった。彼⼥たちと会話をすることは、いままではコンテンツを作るためのリサーチの⼀環だったが、それだけでは⼥の⼦たちは⼼を開かない。
気軽に話してもらうためには、ちょっと年上の近所のお姉さんくらいの存在として⾒てもらう必要があった。私⾃⾝が⾃我を捨て、彼⼥たちの気持ちを理解しようとする。

そうやってさまざまな⼥の⼦たちと対話を進めていくと、彼⼥たちの本⾳が徐々に⾒えてきた。

インスタグラムで⾒る⾃分らしさを確⽴しているように⾒える⼈たち、メディアが発信する⼈⽣のお⼿本、成功者の⾔葉――
それらは期せずしてプレッシャーとなり、彼⼥たちにじわじわのし掛かっていた。

それらの情報を「これはまさに⾃分と同じ考え⽅だから、⽣活の中に取り⼊れよう」「⾃分と⽅向性は異なるが、⼀意⾒として聞いておくか」というように、⼀つのサンプル、として触れることができたら違うのだろう。でも真⾯⽬な彼⼥ちは、それらをするすると無意識に吸収していた。
「⾃分はどう在りたいのか」ということは差し置いて。

SNS やキュレーションメディアなど、いつでも⼤量の情報を取得できるようになったいま、彼⼥たちは情報の波に埋もれて、⾃分⾃⾝と向き合う時間を失っているようだった。そして、「⼼が晴れ晴れしない」状態になった時、思わぬ影響が出る。
⾃分⾃⾝と向き合って原因を探る前に、SNS や他情報に触れる習慣の⽅が勝ち、無意識に他者や架空の成功例を軸に考えてしまうので、⼀向に解決しないのだ。


〝私〟を浮き彫りにする言語化の力

私たちは⽇々、たくさんの「⾔語化」に触れている。

例えば、ファッション誌では、編集者がおしゃれなコーディネートがおしゃれに⾒える理由を記事にし、ニュース番組ではコメンテーターが⼀つの出来事をもとに、⼰の⾒解を発⾔する。それらは、⼀つの出来事に他者の主観というフィルターをかけた⾔葉だ。情報社会の中では、それらの⾔葉をいかに早く、そしてどれだけの量を取り⼊れられるかを試されているように感じることがある。他者の視点の集合体=どこかの誰かが考え、感じた結果を⾃分に⼤量にインストールした結果、それらは空虚な満⾜感を⽣み出す。しかし、満たすべきは⾃分が考え、感じた結果であり、⾃分の⼼を揺れ動かさない限り、真の満⾜感は得られない。

⾃分はどう感じたのか、なぜそう感じたのか、
それに対してどう考えるのか、どう進みたいのか、そして、どう在りたいのか。

その⾔葉⼀つ⼀つが、他者と同じか、他者に受け⼊れられるのか、確認したくなるかもしれないが、それらは意味がない。
なぜなら、⾃分が感じたことは感じた以上、事実であり、他者に肯定される必要も、否定される必要もないからだ。

⾃分⾃⾝を⾔語化という形でアウトプットしていくと、それらは“私”という存在をどんどん浮き彫りにしてくれる。輪郭がはっきりしていくような感覚だ。すると、⾃分がいまどんな感情で、どんな壁にぶつかっているかを認識できるようになる。そうなった時、もう「モヤモヤ」は存在しない。そして情報との付き合い⽅も変わる。空虚な何かを埋めていくような漠然とした情報の取得ではなく、⽬的が明確になることで⾃分に合わせた取捨選択ができるようになる。

私が主宰する「⾔語化サロンisee」では、いまここに書いた「どう感じたのか」「なぜ感じたのか」といった対話を通して⾃分の感情や考えを浮き彫りにし、その⼈⾃⾝の核を⾒つけていく作業をする。セッションを受ける前は、皆何かしらの「モヤモヤ」が存在しているが、セッション後には

「頭がパッカーン!となった」
「⽣まれ変わった気分」
「⾃分が⾒つかりました!」
といった⾔葉を頂く。

そんな感想を聞く度に、⾃分の感情に気付き、⾔葉にして認識していく作業は、どうやら私が思っている以上に重要なことで、⼈が⼈として⽣きていくための活⼒に繋がることなのかもしれないと感じる。


このコラムも、所詮は私という他者の視点が⼊った⾔葉の集合体だ。読む⼈によっては疑問に感じたり、否定したくなったりするかもしれない。でもそれでいいのだ。
⼤切なのは、これを読んで、あなたがどう感じたか、何を考えたか。その答えに正解はなく、あなたが何かを感じたという事実があっただけで尊い。そしてその事実をもっと受け⽌めてほしい。
そして⾔語化することで、唯⼀無⼆の⾃分という存在を楽しんでもらいたい。