博士と狂人公開記念「私と辞典」 博士と狂人公開記念「私と辞典」

世界最大の英語辞典を作ったのは“異端の学者”と“殺人犯”だった。

「オックスフォード英語大辞典」に隠された真実を描く驚きと感動の物語『博士と狂人』の映画化を記念して、
言語化タイムズが特別コラボレーション。

日頃から”言語”に向き合っている、
秦亜衣梨、田沢あかね、阿部武志の3人がこのノンフィクション作品に対する独自の見解を語る!

Profile

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Me and my dictionary

秦 亜衣梨

プロデューサー、「言語化サロンisee」主宰

雑誌好きが⾼じて⼤学在学中からフリーのライターとしてキャリアをスタート。
幻冬舎の⼥性誌『GINGER』では、創刊メンバーとして読者モデルやモデルの育成に⼒を⼊れ、CCCメディアハウスの⼥性誌『FIGARO japon』では、ファッションページのディレクションのほか、コレクションの取材を担当
コンサバ誌、モード誌の編集者として経験を積んだ後、デジタル動画メディア『MINE』の編集⻑に就任。メディアのブランディングに貢献し、⼥性のエンパワーメントを⽬的としたプロジェクトを企画。2020年に独⽴。
コンサルティングや、プロデュース業を⾏う傍ら、⼥性に寄り添うためのプロジェクトを企画。現在、第⼀弾として「⾔語化サロン isee(アイシー)」を運営中。現在、週に一回初回体験無料キャンペーンを実施中。
詳しくはこちらから。https://bit.ly/2PyDpeC

Instagram @__hataairi__
Twitter https://twitter.com/__hataairi__

「言葉」を尊重すること。

私が主宰する「言語化サロンisee」では対話を通してセッションをするので、常に言葉と向き合う上で、とても大切にしている。
言葉はその人自身を表すので、一つ一つには重みがあり、言葉の意味をきちんと理解し、正しく扱うために、私は辞典を欠かさず持っている。だから、期せずして出合った映画『博士と狂人』に心惹かれた。

本作は、多くの人が手に取ったことがある「オックスフォード英語大辞典」の第一版の編纂を手がけた言語学博士マレーと、心を病みながらも彼の編纂に貢献した元軍医マイナーの物語である。
物語冒頭にマレーは、辞典に載せる単語の例文を一般市民から集めるという斬新なアイディアを思いつき、英語圏の人々を対象に募集を開始する。その送り主の中に大量の例文を送ってくるマイナーという人物がいることに気付くことで、2人に接点が生まれ、物語は進んでいく。

私が心を揺さぶられたのは、本作が実話であるということだ。
マレーは、言葉は紙の上の学問ではなく、生きものであると知っていたからこそ編纂作業を学会内に留めず、一般市民を巻き込み、彼らからの言葉を受け取って編纂作業に励む。そしてマイナーは、例文を探す作業に没頭するなかで、失っていた正気を取り戻していく。
生き方も立場も異なる2人だが、言葉を尊重し、言葉の海を好んで航海する船乗りという意味で似た者同士なのだ。その証拠に、マレーとマイナーとの間には次第に友情関係が生まれる。

2人が一緒にいるとき、彼らは自分たちが何者であるかということを多くは語らない。その代わり、言葉遊びをしながらお互いを知っていく。シンプルな言葉のキャッチボールなのだが、ともに長い旅をしてきた者同士が思い出を語り合っているような濃密さがあり、それらのシーンからは、言葉はその人の在り方を表す、ということを強く感じる。

劇中には彼ら以外にも様々な立場の人物が登場する。保守的なエリートの学者や、文字が読めない女性、仕事一筋の夫を支える献身的な妻……それぞれが発する言葉で、人を傷つけ貶めることもあれば、明日を生きる勇気を与えることもある。言葉は使い方次第で諸刃の剣ともなるが、使わなければコミュニケーションは生まれず、感情も生まれない。辞典によって多くの言葉に出会い、表現の選択肢を増やすことは、他者との対話を生み、同時に自分を自由にする。私たちは言葉を通して自分自身を見つける旅に出られるのだ。
私たちが旅に出るために必要な地図を作ってくれた、本作に登場する先人たちに想いを馳せながら、今日も言葉と真摯に向き合いたい。

02

Me and my dictionary

田沢あかね

2014年、学研教育出版(現・学研プラス)に入社。80万部以上というコンパクト辞典としては異例の大ヒットを飛ばした『ことば選び辞典®︎』シリーズの編集を担当する。静岡県出身。母校である京都大学大学院では、言葉への興味から『平家物語』『保元物語』の研究を深める。幼いころは文字を読むことが好きすぎて、食品パッケージや電話帳までひたすら読みこんでいたという重度の蠹書蟲。好きなものは、古典と妖怪とコミック全般。

博士と狂人、私と辞典

 それは、世界につながる魔法の本だった。
私と辞典との出会いは、気がつけばもう四半世紀以上前になる。とにかく文字に飢えている幼児だった私は、ある日家の戸棚で一冊の本を見つけた。ページいっぱいに、みっしりと記された文字とことばの数々。めくれどもめくれども終わりが見えない一冊に出会い、ただただ興奮したことをぼんやりと覚えている。もっとも、二十数年後に自分がその本をつくる側の人間になるとは、当時夢にも思っていなかった。
 引っ込み思案で人見知りが激しく、すこぶる内向的な自分にとって、辞典はいつしか心の友となった。いつでもそばにいて、ことばに関してなにか疑問がわいたときにはそっと導いてくれる大切な友人だ。

 映画「博士と狂人」は『オックスフォード英語大辞典』誕生にまつわる逸話で、言語こそ違えども、ことばに心を囚われる者としての共通点は無数にあると感じられる。以下に挙げた映画中の描写は、辞典編集者なら誰しも心当たりがあるのではなかろうか。
 クリケットの試合を見ながらも、新聞の文字をつい目で追ってしまう。
 「”big”を掲載するのなら、当然”small”も掲載しなければならない」という発想。
 大量の文献に埋もれ、追い詰められて妙なテンションになってしまう修羅場。
 身近な人の会話に出てくる新しいことばが気になって仕方がない。
 世界にあふれることば、ことば、ことば―ことばの洪水に流されぬようもがき、一つ一つのことばをすくい上げる。英語であろうと日本語であろうと、この性(さが)は変わらない。スクリーンの向こうによみがえる偉大なる先人たちに敬意を払いつつも、思わず口元が緩んでしまう。我も人なり、彼も人なり。

映画の中盤で、マレー氏とマイナー氏が次のようなことばを交わす場面がある。

「博士と狂人」
「どっちがどっちだ?」

 ことばに対する狂おしいほどの執着は、ある種の生きづらさと紙一重でもある。自分自身、妙なこだわりを捨てきれない変わり者だと笑われることもあった。もし辞典編集者になっていなかったら、私は社会に適応できなかったかもしれない。天職でもあり、時に呪いでもあり、愛しくもあり、時に疎ましくもある。それでも、歩いてきたこの道に後悔だけはない。自分にとって、辞典の編集とはそんな仕事だ。

 さて、編集に直接携わる者のみならず、その周囲にいる数多の人の支えなくして辞典は完成しない。取引先は言わずもがな、関係者の友人や家族もまたそのひとりであろう。
 映画「博士と狂人」のクライマックスでは、原作にはない映画オリジナルのシーンが設けられている。マレー氏とマイナー氏を非難する緊急理事会の場に、突然マレー夫人が現れ、お偉方にこのように訴えるのだ。

「常識から外れた生き方も認めてほしい」
「自分らしくあることを罰しないで」

 辞典編集者に限らず、「変わり者」と言われながら自分の道に命を賭けてきた全ての人が、この台詞(セリフ)に心打たれることだろう。そして、その道程を支えてきてくれた方々に思いを馳せ、改めて感謝の念を伝えたくなる。その感謝を胸に、何度転んでも立ち上がり、自分の道を歩き続けられるはずだ。

 映画「博士と狂人」でも描かれているように、辞典を一冊世に送り出すその刹那にも、新しいことばはもう生まれ続けている。理論上、完全無欠な辞典は存在し得ない。ことばの生まれるスピードに追いすがっているうちに、人生の残り時間はどんどんと減り続ける。
 一人の人間に許された時間は、驚くほど短い。成し遂げられることの少なさに歯噛みし、地団駄を踏み、天を仰ぎたくなる。この世界はなんと残酷なのだろう。
 だが、それでも我々人類には「ことば」という翼が与えられている。この翼をもってすれば、空間はおろか時間を超えた旅も可能だ。自分一人では成し得ないことも、「ことば」で伝え、継承し、後世へと希望を託すことができる。その「ことば」を記録し、人々にずっと寄り添ってくれる友人が辞典なのだ。

「君を道標として――」
そのことばに勇気づけられ、私たちはこれからも辞典の編集という終わりなき道を歩き続ける。

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Me and my dictionary

阿部武志

株式会社学研プラス 英語辞典チーム統括編集長

大分県出身。
大学在学中は海外を旅してまわり、文化の多様性を身をもって体験するとともに、「人生意外と何とかなる」といういい加減さを身に付ける。
1996年、学習研究社(現・学研プラス)に入社。
入社から現在まで、英語の学習教材や辞典の製作に携わり続ける。
好きな洋画は『ギルバート・グレイプ』。

『オックスフォード英語大辞典』

 私がはじめて『オックスフォード英語大辞典』を見たのは高校生のときで、なぜか図書室や職員室ではなく学校の事務所であった。非常に高額な本のため、セキュリティ上いちばん安全な場所に保管されていたのであろうか。そのような場所にあったこともあり、誰かがこの辞典を引いているところを一度も見たことがなかったし、自分でも引こうと思うことは微塵もなかった。ただ、大きくて分厚く、渋い装丁の辞典が何冊も並んでいる様は、さながら百科事典のようでもあり、《室内の飾り》、否、《権威の象徴》のような佇まいで、威厳と拒絶感を放っていた。

 さて、この映画の題材である『オックスフォード英語大辞典』誕生にまつわるエピソードについては、英語辞典編集に携わる者の間では有名なものだと思う。私自身も大まかな話は知ってはいたが、今回この映画を観て、あらためてその背景で翻弄された人々のドラマを知ることとなった。また同時に、辞典を編纂することの困難や編纂者の姿勢というものを再認識することともなった。

あらゆることばを網羅する辞典

 話の舞台は19世紀後半から20世紀初頭のイギリスで、日本だと江戸時代の末から大正時代にあたる(ちなみに夏目漱石は1900年から2年間ほどロンドン留学していた)。当時のイギリスは大英帝国の繁栄を謳歌したヴィクトリア朝の後期で、パックス・ブリタニカと呼ばれる平和を享受し、自由主義が発達した時代であった。
そのような時代背景の中で提案、計画されたのが、のちに『オックスフォード英語大辞典』として世界最大の英語辞典となる辞典の編纂事業である。この映画の主人公マレーとマイナーは、この一大事業に巻き込まれていくことになるのだ。

 この辞典が提案される19世紀半ばには、ジョンソンの『英語辞典』という偉大な辞典がすでに存在していた。しかしその『英語辞典』が発刊されたのは1755年で、すでに100年近く経ったものであり、新たに加えるべきことばを収録する必要性があった。そこで英国言語学会で新しい辞典の制作が提案され、委員会が設置されたわけである。この提案は、英語の語彙のすべてを収録するという壮大すぎる計画に発展し、結果として、完成までに70年以上もの途方もない年月と想像を絶する労力を必要とすることとなった(当初12,3年で完成するものと思われていた)。

 なお、「英語の語彙のすべてを収録する」というのは、当然のことながら辞典の《見出し語》を集めることのみならず、その見出し語の《意味(定義)》を載せることも含まれる(ちなみに現在の版でsetという単語の《意味》は200以上に分類・掲載されている)。また、この意味を集めるためには、それぞれの意味で実際に使われている《用例(引用文)》を集めなければならない。さらに、『オックスフォード英語大辞典』ではそれぞれの意味を歴史順に配列するため、いつごろからその意味で使われるようになったかを整理していかなければならない。
以上のようなことを、それまでに出版されてきたあらゆる書物から拾い出して手作業でまとめあげていくという作業がどれだけ大変なことか…。マレーとマイナーが挑んでいた仕事の果てしなさや彼らの労苦を、ぜひ想像していただければと思う。

辞典編纂という仕事

 このような果てしもない作業を忍耐強く続けていくのが辞典編纂者や編集者の仕事である。
一つの辞典を完成するのにひたすら労力と時間をかける、それも同じような作業を地道に継続していく、というのはふつうなら退屈極まりなく嫌気がさすものだ。このような作業を続けるモチベーションの根源は、元々ことばに対する興味があることが前提でもあるが、自らの仕事が必ずや社会に貢献するにちがいないと信じる辞典編纂者・編集者としての矜持にほかならない。『オックスフォード英語大辞典』を筆頭としてこれまでこの世の中に登場した辞典誕生の裏には、大なり小なりではあろうがそのような「熱い思い」が編纂者・編集者たちにあったことを頭の片隅に入れていただけると、同業の末席を汚す者としても大変ありがたく思う(日本初の近代国語辞典といわれる『言海』や、世界最大の漢和辞典『漢和大辭典』の誕生エピソードも壮大、壮絶なものなので、興味のある方はぜひお調べいただければと思う)。

 『オックスフォード英語大辞典』の編纂責任者となったマレーはともかく、マイナーも上記のような思いをもって(同時に彼の過去に対する償いの意味もあったのかもしれないが)用例を採取していったにちがいない。
境遇は違えど二人同じ辞典の編集に没頭し、同じ苦しみを共有し、同じ辞典に生かされ、同志・友人としての関係を育んでいったのだ。

Story

19世紀、独学で言語学博士となったマレーは、オックスフォード大学で英語辞典編纂計画の中心にいた。
シェイクスピアの時代まで遡りすべての言葉を収録するという
無謀ともいえるプロジェクトが困難を極める中、博士に大量の資料を送ってくる謎の協力者が現れる。
その協力者とは、殺人を犯し精神病院に収監されていたアメリカ人、マイナーだった――。
https://hakase-kyojin.jp/

監督:P.B.シェムラン 出演:メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、エディ・マーサン、スティーヴ・クーガン
原作:サイモン・ウィンチェスター著「博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話」(鈴木主税訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
2018年/イギリス、アイルランド、フランス、アイスランド/英語/124分/ドルビーデジタル/シネスコ/原題:THE PROFESSOR AND THE MADMAN/字幕翻訳:原田りえ/
提供:ポニーキャニオン、カルチュア・パブリッシャーズ/配給:ポニーキャニオン 映倫G

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