超人図鑑 制作の裏側超人図鑑制作の裏側
#01
KINNIKUMAN × GAKKEN
KINNIKUMAN × GAKKEN
『学研の図鑑』といえば今でも学校の図書館には必ずと言ってよいほど置いてある、子どもの学習図鑑の決定版だ。学研の名前を知らなくても、図鑑を見れば「ああ、懐かしい!」と思う人も多いだろう。そんな『学研の図鑑』シリーズにおいて異彩を放つ一冊が『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』だ。
『キン肉マン』といえば、ゆでたまご作の大人気漫画。2019年には連載40周年を迎え、現在でも長寿シリーズとして、子どもから大人まで幅広い層のファンが存在する。同作の作中に登場する多数の超人たちを分類し、詳細なデータベースとしてまとめたのが『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』である。
同書を企画し、図鑑としては異例の大ヒットを生み出した編集者・芳賀 靖彦(はが やすひこ)を迎え、『言語化タイムズ』生みの親であり総合プロデューサーである鈴木セリーナ自ら、誕生秘話についてインタビュー。全3回に分けてその様子をお伝えする。
第1回は芳賀靖彦とゆでたまごとの出会いを振り返る。
20年越しに「超人図鑑」制作の夢が叶った
鈴木セリーナ(以下鈴木):
本日はお時間をいただきありがとうございます。さっそくですが、「超人図鑑」を作ろうと思ったきっかけは何だったんですか?
芳賀靖彦(以下芳賀):
僕は小学生のころから『キン肉マン』のファンでした。『キン肉マン』に登場する超人たちはみんな個性的なんです。人間に近い超人もいれば、爬虫類やほ乳類、さらには宇宙や時空といった生物の枠を超えたモチーフまでバラエティに富んでいます。それにストーリーも大好きです。8割方リングの上で話が展開するのに、キャラクター同士の関係性や心に響く物語がしっかりとえがかれているんですよね。それがすごくアツいなぁと思って。
鈴木:
『週刊少年ジャンプ』の“友情・努力・勝利”という原則は、少年漫画の王道と言われるだけあって心に響くものがありますよね。私も毎週『ONE PIECE』を読むために購入しています。でも実は私、同じジャンプ作品ですが『キン肉マン』は読んだことがなくて…。『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』をきっかけに『キン肉マン』を知り、「どんな作品なんだろう?」と興味を持ちました。
芳賀:
「超人図鑑」をきっかけに、『キン肉マン』に興味を持ってくださることは、嬉しいですね。実は、読者のお子さんが「超人図鑑」をきっかけに『キン肉マン』ファンになり、親子で話すきっかけになったという声も、よせられているんです。
鈴木:
幼いころの芳賀少年の心に響いたように、『キン肉マン』の魅力的なキャラクターやストーリーは今もファンを増やし続けているわけですね。
芳賀:
僕も子どものころは、図鑑が好きで、空想しながら、よく超人を分類して遊んでいました。そんな体験もあり、学研に入社した当初から「いつか超人の図鑑を作りたい」とずっと考えていました。入社当時、僕は辞典編集部にいて、図鑑編集部の同期に「『キン肉マン』の図鑑を作ったら絶対売れると思うんだよね」と話したら一笑に付されましたけど(笑)。
それからしばらく企画のことは忘れていたんですが、自分の所属していた辞典編集部と図鑑編集部が合併されたことをきっかけに「もしかしたら作れるかも」と思うようになりました。そのころにはゆでたまごの原作担当、嶋田先生(※1)と顔見知りになっており、企画を進める土壌があったんです。決定的となったのは、僕が編集を担当した『スター・ウォーズ英和辞典』を嶋田先生にプレゼントした際に「『キン肉マン』でもこれやりたいなあ」と言っていただいたこと。それなら、ということで「『キン肉マン』であれば辞典ではなく、図鑑をつくりませんか? 企画書をお送りしてもいいですか?」と提案し、ご快諾いただきました。実に20年越しの企画実現でしたね。
※1 『ゆでたまご』は原作担当・嶋田隆司と作画担当・中井義則のコンビで漫画を執筆している。
ゆでたまご・嶋田先生との出会いは
“超人募集”がきっかけ
鈴木:
「『キン肉マン』でもこれやりたいなあ」って嶋田先生が仰ったときは、「来た!!これはチャンス!!」って感じですよね。入社当初から「いつかは絶対やってやる」と思い続ける力が芳賀さんらしくてすごいです。ゆでたまご先生とはどんなきっかけで知り合ったんですか?
芳賀:
『キン肉マン』に登場する超人の多くは読者の投稿をもとに作られているんですけど…。
鈴木:
えっ、そうなんだ。知りませんでした!私『キン肉マン』の知識が全くなくて、ただただこの図鑑に興味があるっていう…(笑)。
芳賀:
そうなんです(※2)。実は僕も子どものころ、応募した超人が採用されたことがあるんですよ。
※2 『週刊プレイボーイ』に連載の場を移した現在も、引き続き超人募集がおこなわれている。
鈴木:
すごい!図鑑にも載ってますか?
芳賀:
はい。ジャンクマン(※3)という超人なんですけど。
鈴木:
“体の部位を発達させた超人”に分類されているんですね。キャラクターの設定もご自身で考えられたんですか?
芳賀:
いいえ、キャラクターの設定は基本的にゆでたまご先生が考案されます。僕はジャンクマンというキャラクターデザインを採用していただいただけなんですよ。
ジャンクマンは、両手がトゲのついた板状になっていて、それで相手を挟む技を使うんですが、投稿前のはがきを見た兄が「この超人は弱い。背中から攻撃されたら負ける」って言うんです。腹が立ったので、応募直前に「うしろにも顔が出る」「腕は背中側まで動く」という設定を文字で書き足して、はがきを出したんです。そうしたら、その設定を作中にそのまま登場させてくださったんですよね。嬉しかったなぁ。
鈴木:
ジャンクマン、どんだけ腕動くんだっていう話ですね。でもお兄さんのおかげでジャンクマンの腕の可動域が広がって、より強くなった(笑)。
※3 『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』160ページに掲載。
芳賀:
そうそう(笑)。そのジャンクマンをきっかけに、嶋田先生を紹介してくださったのが、中野和雄さん(※4)という『キン肉マン』の初代担当編集者の方なんです。僕が中学生になったころ『闘将!!拉麺男(たたかえ!!ラーメンマン)』という別のゆでたまご作品で、ラーメンマンの敵や武器や必殺技が募集されていたことがあったんですけど、なんとそのときに僕が応募した必殺技を最優秀賞に選んでくださったのが、当時『月刊フレッシュジャンプ』の編集長だった中野さんでした。そんなご縁もあり、毎月のように食事に行くほど親しくさせていただくようになったのですが、嶋田先生にご挨拶できたのも、中野さんの取り計らいがあったからなんです。
※4 『週刊少年ジャンプ』副編集長、『フレッシュジャンプ』副編集長・2代目編集長を歴任。『キン肉マン』作中に“アデランスの中野さん”として登場している
鈴木:
それは何年くらい前なんですか?
芳賀:
初めて「超人図鑑」が話題に上ったのは5年ほど前ですが、先生と親しくお付き合いするようになったのは、もう10年くらい前のことになりますね。
出版社・作者双方の熱い想いが詰まった一冊が完成
鈴木:
長年築き上げた信頼関係があったからこそ実現した企画だったんですね。キャラクター物のビジュアル図鑑って版権元である作者も制作・編集側も考えなきゃいけないことが多いじゃないですか。この図鑑からは両者のやる気や根気も感じられるなぁと。かなり細部まで細かく編集されていて、お互いのやる気に応えていこうという思いが見えたんです。その結果として作品にまで興味が湧いて…。
芳賀:
そうですね。ゆでたまご先生は図鑑の構成については、あまり仰らず、“図鑑としてどう魅力的にするか”という演出の部分は学研に任せていただけました。普通こういったコラボレーションものって、様々な制約があることが多いんですが、その点、ゆでたまご先生は「良いものにしましょうね」というだけで、かなりの自由度を与えてくださいました。
その一方で、キャラクターの姿や設定が正しく掲載されているかについては、1体ずつ細かくチェックしていただけました。正直、連載を持ちながらの監修作業はとても大変だったろうなと思います…。本当に感謝の思いでいっぱいです。
鈴木:
私もこれまでライセンスの監修にたずさわる仕事をしてきましたが、監修の手間を省きたがる版権元もいるじゃないですか。でもこの図鑑はそうじゃないと感じたし、それを実現した芳賀さんはすごいと思います。
芳賀:
ここまで信頼を寄せてくださった先生に感謝の思いがある反面、へたなものは作れないなというプレッシャーもかなりありました。僕と同じ『キン肉マン』ファンの方々も喜んでくれるだろうかって。でも、最後には学研・作者双方の熱い想いの詰まった一冊に仕上がったんじゃないかなと思います。
空前の大ヒットとなった『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』は、芳賀とゆでたまごの「良いものを作ろう」という想いが重なって生まれたものだった。次回『図鑑制作のこだわり』につづく。
PROFILE
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芳賀 靖彦(はが やすひこ)
幼少期をアメリカ・テキサス州ヒューストンで過ごした。
1994年学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。辞典編集者としてのキャリアを重ねる一方、子どもの頃から大好きだった『キン肉マン』の超人を、『学研の図鑑』シリーズに加えたいという夢を持ち続ける。2019年、原作者・ゆでたまごの全面協力を得て、『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』が出版される。そのほかに『スター・ウォーズ英和辞典』シリーズや『スター・ウォーズ/ジェダイの哲学』などの編集を担当した。 -
鈴木セリーナ
大分県出身。幼少期から英才教育を受けお嬢様として育つ。15歳の頃、親への反発心からドロップアウト。年齢を隠して、地元クラブのホステスとなる。20歳の頃、「銀座のクラブのママになりたい」と夢見て上京。当時、テレビで有名だった銀座高級クラブ「F」で働く。相手の懐に飛び込むトークと物怖じしない性格が受け、たちまち人気ホステスとなる。その後、銀座老舗クラブ「江川」に引き抜かれ、売上ナンバーワンに。銀座ホステスを辞めてからは、主に文房具を扱う企画会社とタレントのキャスティング会社を起業。マルチクリエイティブプロデューサーとして、ビジネスの世界でも成功を収める。実業界から政界、マスコミ業界まで、様々な業界のトップクラスと親交が深いことでも知られる。