強く惹かれるのは、
決意が伝わるセリフ
小倉孝俊(おぐらたかとし)は第85回『手塚賞』にて応募作『comeupsmiling!』が賞を受け、デビューを果たした漫画家のひとり。
集英社が主催する漫画新人賞『手塚賞』は、1971年に第1回が開かれて以来、現在まで多くの著名な漫画家を世に送り出してきた、漫画家志望者の登⻯門。2019年12月、累計発行部数が全世界で4億6000万部を超えた『ONEPIECE(ワンピース)』の尾田栄一郎も、『手塚賞』出身作家だ。
小倉が多くの紆余曲折を経て描き上げた応募作は、あこがれの尾田栄一郎への“ラブコール”でもあったという。
「自分は凡人だ」と語る小倉が、作品づくりにこめる想いとは。漫画における“ことば選び”に対するこだわりからひもといた。
「他人と同じことならやらなくてもいい」と語る小倉は、自身の作品の表現に強いこだわりを持つ。
漫画の表現と言えばイラストに関するものだと思われがちだが、“描き文字”と呼ばれる擬音やセリフ、また登場人物やアイテムなどのネーミングなど、“ことば”に関する表現も多い。
「自分の表したいことをそのまま書くだけではダメなんです。漫画にはキャラクターがいるので、そのキャラクターならどう表現するかと考えないといけない。これが難しいですね」
漫画家として、小倉はどのような“ことば選び”をしているのだろうか。
漫画の制作中に辞典やその他の資料を見ることはある?
小倉:
外で仕事をする機会も多いので、資料はだいたいiPadに入れて持ち歩いていますね。以前は本をそのまま鞄に入れて持ち歩いていたんですが、あまりの重さで肩紐がちぎれてしまって...。それ以来、資料はデジタル化しました。だけど物理書籍には物理書籍なりの魅力があるとも思います。たとえば、目当ての資料を探してページをめくっているうちに、新たな情報との出会いがありますよね。それはデジタルにはない体験だと思います。
資料として辞典を使う機会はあまりありませんが、ことば使い方に関する調査や取材はしっかりします。僕の中でことばの使い方があやふやだと自信を持って表現ができませんから。たとえば「みる」という言葉がありますよね。漢字で書いたら「見る」なのか「観る」なのかで表す意味が異なってきます。その言葉を発しているキャラクターが何を考えているかをそこで描き分けることもできますし。僕の感覚を表現し、かつキャラクターに寄り添うにはどんな言葉が一番いいだろうかと常に考えています。
個人的には、言葉づかいもキャラクターのプロフィールを表す方法のひとつで、演出のためなら必ずしも正しい言葉づかいをさせなくても良いと思っています。幼い子どもや、学がない設定のキャラクターが学者みたいに理知的な話し方はしないですよね。そういう場合はあえて間違った言葉づかいをさせることもあります。表情や外見と同じくらい、どんな話し方をするかはキャラクターを印象づける要素です。
僕はネーム作業(※1)の時、はじめに演劇の台本みたいな形でテキストをバーッと書き出してからコマに落とし込んでいきます。テキストのみの状態で「これでOK」だと思ってからコマ割り(※2)を進めるんですが、案外テキストそのままでは収まらないんですよね。時間の感覚が変わるというか、「この部分は不要だな」と思えるところが出てきます。漫画のセリフは、いかに簡潔にするかが大切だと思いますが、だからといって普段使わないような言葉づかいにすると読者に伝わりません。
そのあたりのさじ加減が難しいですね。
※1 ストーリーの構成を考える作業のこと
※2 用紙に実際に線を引き、コマをどのように配置するか考える作業のこと
漫画を描き始めたきっかけは?
小倉:
『週刊少年ジャンプ』を読んで育った子どもだったので、やっぱり鳥山明先生や尾田栄一郎先生に強く憧れていました。その影響で、漫画家になろうと思ったのは小学生のときですが、実際に漫画を描き始めたのは大学生になってからです。
小学生ぐらいのときは「今のオレが漫画を描かなくても、オレは絵が上手いし、将来のオレが描いてくれる」と思っていたんです。だけど漫研に入ってみたら、周りの人間がみんな僕よりはるかに上手いんですよ。驚きましたね。描いたものを見せてと言われても、比べられるのが恥ずかしくて全然人に読ませませんでした。
完全に挫折を味わったのは、集英社に漫画の持ち込みをしたときです。このとき持って行った作品も、普通だったら1ヶ月くらいで仕上げられるはずの45ページを、1年間かけて描いたんですが...。
持ち込む前は何の根拠もなく「お前は天才だ!」と言われるかも、なんて甘い期待を抱いていました。だけど結果はダメ出しの嵐で、「まあまた来てね」って感じで帰されて。当然なんですけどね。そこでやっと「自分は凡人なんだ」と気がつきました。
人に読んでもらえなければ、当然ながらアドバイスをもらえません。よほどの天才でもなければ、客観的な意見がないと上達はムリでしょう。創作活動においては自分のこだわりを貫くことも大事だとは思いますが、当時の僕は“こだわり”を盾にして、ただ逃げていただけ。何よりも必要だったのは、誰かに見せて、感想でも批判でもその人の“ことば”を受け入れる勇気を持つことだったんですね。
寺院に生まれた小倉は、自身も専門教育を受け僧籍(※3)に入っている。
しかし彼が寺の檀家(※4)の前に“僧”(※5)として立つことはほとんどないという。
手伝いが必要な時、請われれば手を貸すこともある。だが“寺の人間”として積極的に活動することはしない。
「まあ、若さゆえの反発心ですね」
と小倉は笑う。
しかしそれは、彼の「自分は漫画家である」という自負の証なのかもしれない。
※3 僧としての籍・身分。
※4 ある寺に属し、お布施をして寺の財政を助ける家。
※5 出家して仏教の教えを守り修業を行う人。
小倉さんの好きな言葉と言われたくない言葉、これまで触れてきた漫画作品の中で印象的なセリフは?
小倉:
そうですね......好きな言葉は「郷愁」「切ない」といった情緒的な言葉です。他人から言われたくないことは「あなたにはわからない」とか「よくわからない」という言葉でしょうか。一方的に僕のことを決めつけて、理不尽にコミュニケーションを断たれる感じが嫌ですね。
漫画のセリフなら、僕の作品『生と死のキョウカイ』だと作中屈指のサイコパスであるティムタム博士が言った「キミの神はキミの中だけの存在でしょ?それって神の名を借りたキミ自身の願望そのものさ」というセリフと、作中で僕が一番好きなキャラクターである勇者サンライズの「命ってほんと儚いよね昨日あった当たり前が明日あるとも限らないだからこそおれはおれが唯一自由な今この瞬間を生きる!」というセリフが気に入っています。前者は神への信仰を持つ主人公に対して絶望を突き付けるようなシーンですが、その真意はとてもやさしいもの。対して後者は一見真っ当な思想にみえて、『生と死のキョウカイ』中では非常に自己中心的かつ暴力的に感じるセリフです。
他の先生の漫画で気に入っているセリフは、『ジョジョの奇妙な冒険』第1部のポコが言う「あしたっていまさッ!」と、『スラムダンク』の桜木花道が言う「オレは今なんだよ!!」ですね。シーンの詳細はぜひ原作を読んでいただきたいと思いますが、どちらも後悔しないように“今この瞬間”に全力で立ち向かおうとした場面です。どうやら僕は“強い覚悟”とか“強い意志”が伝わってくるセリフに惹かれるみたいですね。
一度は挫折を味わった小倉だったが、一念発起し『手塚賞』への応募を決意する。
応募締め切りの3月31日は大学生活最後の日。
翌4月1日からは僧侶の資格を取るために必要な、寺院での修行期間に入ることが決まっており、この機を逃せば漫画を描く時間はほとんどない。
“いつかそのうち”では決して目標を達成することはできない。
「大学在学中に漫画家になれなければ筆を折る」
と覚悟を決めた小倉は、知人に手伝いを請いながらも懸命に作品を描き続けるのだった。
『手塚賞』に応募したのはなぜ?
小倉:
挫折はしたものの、漫画家になるという夢を諦めることはできませんでした。ちょうどその年度末の3月31日が手塚賞の応募締切だったんです。だからもうここまでに描き切るしかないと思って。「ここで応募できなきゃ、2度と漫画を描く資格はないぞ」と決意しました。4月からはもう僧侶の資格のために寺院へ修業に行くことが決まっていましたし、まさに“ターニングポイント”って感じですね。
一人では間に合いそうもなかったので知人に手伝いを頼んでいたんですが、スケジュール的には絶望的でした。知人は諦めてましたね(笑)。でも僕は「間に合うとか間に合わないとかじゃない。間に合わせるんだよ」と覚悟決めて。未来の僕ではなくて、今の僕がやらなきゃいけないと本気で取り組みました。
原稿が完成したのは、3月31日の23時55分。手塚賞の締切は当日消印有効だったので、24時間営業の郵便局へダッシュしました。局員さんに「間に合いますか!?」と聞いたりして…なんとか無事応募完了です。このときの作品はずっと憧れていた尾田栄一郎先生への“ラブコール”みたいな面もあったんですが、審査員の中でもまさにその尾田先生が一番評価してくださいました。その結果、受賞することができました。
最近完結した『生と死のキョウカイ』で“命”というテーマを扱ったのは、ご実家がお寺であることと関係がある?
小倉:
寺のことは、実は全く関係ないんです。数年前からいわゆる“なろう系(※6)”の作品ってずっと人気があるじゃないですか。最近は異世界転生ものが多いですが、まとめると“ファンタジー世界のある一面を切り取った作品”が人気なのかなと。それで担当編集者さんと打ち合わせをしていたときに「我々もファンタジーものをやろう!」という話になったんですね。ファンタジーと一口に言っても色々なものがありますが、もう既にやりつくされているような、王道のいわゆる「剣と魔法の冒険もの」みたいなのはやりたくなかったんです。誰かがやってるものをあえて追いかける必要はないと思うので。
僕はずっと「ドラゴンクエストみたいに、あんな安価で死んだ人が蘇るのには絶対ウラ事情があるだろう」と考えていたんです。それを担当編集者さんに言ったら「じゃあその“ウラ事情”をテーマにして作品描こうよ」ということに決まりました。
※6 小説投稿サイト「小説家になろう」発の作品群。転じてその作品群の設定に類似した作品も指す。
余談ですが、ラトビア(※7)にワークショップをしに行くなど、ラトビアとの縁があるようですね。
小倉:
僕が在学中、まだ漫画家でも僧侶でもなかったころですが、たまたまラトビアの方と仲良くなりました。その方の紹介でラトビアの高校に日本語を教えに行くことになったんです。ラトビアでは寺院でどんな仕事(作務)をしているかとか、読経の仕方、また仏モデルインタビュー小倉孝俊×和の感情ことば選び辞典教の観点から見た道徳についての話をしました。
それと、せっかくだから漫画の描き方も教えたんです。その際に仲良くなった教え子から誘いを受けて、2019年の夏にふたたびラトビアへいきました。今度は日本でいう“コミケ”みたいな、アニメ・マンガのイベントへの出演のためですね。そこでまた現地の人たちを相手に、日本の仏教と漫画に関する講演をしました。ラトビアって宗教的にも面白い文化があるんですよ。勢力的にはキリスト教が強いんですが、“ラトビア神道(現地語でLatviskādievestība)”っていう土着の信仰が根強く残っています。⺠族衣装の模様なんかにも神様のシンボルが取り入れられていたり、自分の“守り神”を見つける儀式がおこなわれていたりします。
“守り神”を見つける儀式の手順も独特なんです。“リエルワールデ帯”という⺠族衣装があるんですが、ここに16柱の神様のシンボルが織り込まれています。その帯の両端を人に持ってもらって、自分は目をつぶって帯に手をかざしながら片方の端からもう一方の端に向かってゆっくり歩きます。歩いているうちに手が温かく感じる場所があるので、そこで一旦足を止めます。それからまたゆっくりと歩きだします。温かく感じる場所は一か所とは限らないので、また手が温かく感じたら立ち止まります。さっきよりも温かいなと感じたら、さっきよりも⻑く足を止めます。そうやって端から端まで歩き終えたら、見ていた人がどこで立ち止まっていたかを教えてくれるんです。
僕もこの儀式で自分の“守り神”を見つけたんですが、その神様のシンボルは“卍”だったんです。これは雷光が交差している形だそうですが、“卍”といえば日本では寺院を指しますよね。不思議なつながりがあるなと思い、妙にしっくりきたのを覚えています。
※7 正式名称はラトビア共和国。エストニア、リトアニアと並んで“バルト三国”と呼ばれる。
漫画家としてこれから目指すのはどんなところ?
小倉:
極端なことを言うと、僕自身が納得できる漫画が描ければそれでいいと思うんですね。昔は「いつか未来のオレが描いてくれるだろう」と思っていましたけど、もう今はここにいる僕自身で描かなきゃいけないとわかっているので。ただ今度は「じゃあ僕はどうすれば自分の漫画に納得できるのかな」ってことを考えなきゃいけません。
僕は“漫画は暇つぶしにサクっと読めるただの娯楽”でいいと思うんです。だけど、そのちょっとした娯楽を楽しんでいる時間の中で、ふと「これってすごい」「こんな考えがあったんだ」と誰かにとっての新たな発見や気づきがあるものでありたいと思います。そういう感情を呼び起こせる作品がより多くの人の目に留まるよう、漫画を描き続けたいですね。
小倉自身「漫画は単なる暇つぶしでいい」と言ってはばからないが、そこに描かれるキャラクターたちは読者の感情を大きく揺り動かす。
彼らの生き生きとした感情が私たちに強く伝わるのは、小倉が感情を表す“ことば”にこだわり、選び抜いていることの証明だ。
小倉は“キャラクターの心”を表現するためなら、あえて正確な言葉づかいを避けることもあるという。
シーンやキャラクターによって変化する“ふさわしさ”に応じたことば選びは、創作活動における重要な構成要素だ。
モデルインタビュー小倉孝俊×和の感情ことば選び辞典『和の感情ことば選び辞典』には、日本人の心に寄り添う“和語”による感情表現が多数掲載されている。
漫画や小説といった創作活動にはもちろん、日常的な会話やメールのやりとりなどでも柔らかく感情を表したいとき、きっとあなたの助けになるだろう。