passionate(情熱的に)、
loyal(献身的に)、
optimistic(気楽に)
NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)は、北米4大スポーツリーグの中でも1試合平均6万人以上の動員を誇る世界最大規模のスポーツリーグであり、その優勝決定戦となるスーパーボウルは年間最大級のスポーツイベントとして、毎年同国内はもとより世界中から注目を集めている。
そんな世界最高峰の舞台で、日本人最年少のNFLチアリーダーとして活躍してきた『西村樹里(にしむら きさと)』は一体どんな“ことば選び”をしてきたのだろうか?
異国の地アメリカでの挑戦は、「自分を探す日々から始まった」と彼女は言う。
学生時代、西村樹里にとってチアとは“競技”だった。
“競技”とは仲間と共に技術を高め合い、大会に向けて、どこまでもストイックに取り組んでいくもの。
中学生の時に出会ったチアダンスに、ひたむきに打ち込む彼女は、周囲から“責任”や“努力”、“信頼”ということばで評価され、大学生となると、日本トップクラスである玉川大学ダンスドリルチームのキャプテンを任されるほどにまで成長していた。
アメリカへの挑戦を決めたきっかけは?
西村:
大学生の頃、日本の代表チームとして全米大会に出場した時ですね。
正直、当時大学生の私にとってチアの大会はあまり楽しいものではありませんでした。
なぜなら、チアダンスは、“誰かを応援する”ことが本質のはずなのに、私が続けてきた競技は、ずっと誰かと競い合っていたからです。
キャプテンを任されてからもその矛盾した思いを引きずっていて、日々の楽しさよりも、踊ることへの“重圧”がどんどん大きくなっていました。
でも、全米大会の本番前、本場アメリカのチームがライバルチーム同士、笑顔で声を掛け合っている姿を見て、自分の中で疑問が生まれたんです。
「私にとって、“チア”ってなんだろう?」
もちろん私たちもチーム内でお互いに声は掛け合っていたけど、他のチームを応援することはできていませんでした。それは私たちの声掛けが“競技で勝つためのもの"だったからではないでしょうか。
自分のチームでなくても、まさに一人ひとりが“応援しあってる”本場アメリカのチームを目の当たりにした時、「もっと自分自身を見つめ直さなきゃ」って思ったことがきっかけです。
西村は大学卒業とともに、アメリカプロスポーツリーグの最高峰NFLのチアリーダーへ挑戦。
300人近くがしのぎを削るオーディションを見事勝ち抜き合格するも、アメリカへの渡航条件を満たせず合格取り消しになってしまう。
それでも西村は諦めない。
ともに競技を続けてきたチームメイトや家族の応援に支えられ、翌年の再挑戦で見事『デンバー・ブロンコス』への入団オーディションに合格。
夢の舞台へのチケットを手に入れた。
西村樹里。
NFL日本人チアリーダーの中で、史上最年少という快挙であった。
快挙を成し遂げ、アメリカでスタートした生活は?
西村:
はじめはとても大変でした。やはり言葉の壁が高かったですね。
特に1年目は相手が何を言っているのかほとんどわからないし、自分の気持ちを英語でどう表現すればいいのかもわからないし。
なんとなく愛想笑いをしているしかありませんでした。
相手が言っていることがわからないと、私が周りの人たちにどう評価されているのかがわからないんです。チアの練習をしていても、指導内容の細かいニュアンスが理解できないから直せないんですよね。
チームメイトには私よりチアが上手な人はたくさんいるし、「追いつかなきゃ!」と焦ってばかりいました。「私はできる! 負けてない!」みたいな。
でもある時、「弱い部分も受け入れなきゃ、もう前に進めない」ってふと思ったんです。
自分が辛い時、苦しい時、いつも誰かが支えになってくれている。
チームメイトをはじめ、周りの人たちの存在が、すごくありがたいものだったなって感じたんです。
私がこれまでやってこられたのは、常に周りが描けてくれた“ことば”があったからなんです。
「応援する人は、応援される人じゃなきゃいけない」
そんな“ことば”が、ふと自分自身の軸になった気がします。
それ以来、積極的にコミュニケーションを取るようになりました。
英語が通じないのは相変わらず大変でしたけど、逆にそれを、私を覚えてもらうためのチャームポイントとして使っていました。
どうやら私の英語のアクセントには癖があるらしく、「君のアクセント面白いね。どこから来た人なの?」って聞いてもらえたりして。
それも私からコミュニケーションを取らなければ生まれないやり取りです。
それでも伝わらない部分はもう、ハートで通じ合うみたいな(笑)。
多くの人と話をするうちに、日本でのコミュニケーションとの違いもわかってきました。
「ストレートに“ことば”を表現しないと伝わらない」
日本にいた頃は、私の伝えたい気持ちを、相手が当然、汲み取ってくれるだろうと甘えていたんだと思います。
でも、環境が変われば、いろんな文化を持つ人たちがたくさんいる。
相手任せにするのではなく、自分の気持ちを、自分のことばでしっかりと表現すること。
“ことば選び”が何よりも大切だということを学びました。
いっときは言語の壁に阻まれ挫折を味わった西村だが、2年目からはディレクターの勧めもあり、チアの練習をこなしつつ語学学校にも通学。
勉強とチアリーダーとしての活動を両立するうちに、少しずつアメリカという異郷に対する理解と、“NFLのチアリーダー”としての自覚が湧いてきたのだと言う。
渡米した当初は3年間の予定だったチア生活。
しかしいざ3年目を迎えても、西村の胸にはまだやり切っていないという想いが残っていた。
「私にとっての『チアリーダー』がまだ見つからない」
目指すはデンバー・ブロンコスのスーパーボウル優勝。
そして“優勝チームにふさわしいチアリーダーになる”こと。
もう1年、西村のチアリーダー人生最後の“挑戦”が幕を開けた。
アメリカと日本で、チアリーダーのイメージに違いはある?
西村:
『チアリーダー』というと日本では可愛らしいイメージがあるかもしれませんが、アメリカでは違います。
自立していて、人間としての魅力にあふれる“憧れの女性”という感じです。
チアリーダーということを抜きにしても、女性として尊敬されるような存在。
私自身、アメリカへ来た当時はまだ大学を卒業したばかりでしたから、余計にそう思うのかもしれません。
実際、アメリカのプロスポーツリーグのチアリーダーになるためには、フルタイムの学生または仕事を持っていることが条件なんです。副業というよりは、一種のパッションワーク(主に報酬などを目的とせず自己実現のために行う仕事)として活動をしています。
チアリーダーになってからも、試合で踊る時間より、チームのホームである地元のために社会貢献活動をしたり、地元の子どもたちのためにチアを教えたりする時間の方が長いくらい。
チアリーダーが直接試合に出て勝敗を決めることはできませんが、“ファンとチームをつなぐ架け橋”になるのがチアリーダーだと思っています。これは日本もアメリカも同じですね。
日本にいたころは「私にとって、“チア”ってなんだろう」という問いには、なかなか答えが出せなかった。
でもある日、「You made my day!(あなたのおかげで良い1日になったよ!)」と言ってくれる人が現れました。
それで「ああ、そういうことか」って。
「自分のことばやパフォーマンスで、誰かの『良い1日』を作るのがチアリーダーなんだ」
そう納得できた瞬間、もう悔いなく引退できるなって思いました。
チアをやっていなくても、その精神を持ち続けられたらいいんだって感じられたので。
その決意の後、4年目にチームがスーパーボウルで優勝したのと一緒に、私もチアの舞台を降りました。
引退を決意してから、スーパーボウルでチームが優勝するまでの気持ちは?
シーズンが始まった当初、「ブロンコスが優勝する」なんて、私を含めチームの誰も実は思っていなかったんですよ(笑)
でもとんとん拍子に勝ち進んでいったことで「もしかして今年いけるかも?」という雰囲気に変わった。それからは私たちも「優勝チームにふさわしいチアリーダーでいなくちゃ!」って気持ちで、同じ目標に向かってチームが一体感を持って進んでいきました。もうこの時は、ことばを超えた意思疎通ができていたかもしれません。
優勝したことそのものよりも、優勝に向かっていく過程の方がより印象深いですね。
自分なりに“チアリーダーとはなにか?”という問いに答えを見つけた西村は、スーパーボウルでの優勝を期に、日本へ帰国する。
アメリカで挑戦を続けた4年間で、西村の胸にはどのようなことば・想いが刻まれたのだろうか。
好きなことばや言われたくないことば、また座右の銘は?
「Everything happens for a reason.(すべては起こるべくして起こる)」
これは好きなことばというか、苦しい時に自分に言い聞かせていたことばなんですけど。
日本語で聞くとかなり哲学的というか、むしろ「だから諦めよう」みたいなニュアンスにも聞こえますよね。
でもアメリカではちょっと違う。
クリスチャンの人たちも多い文化だからか、むしろ「この苦しみも神様の思し召しなんだ。だからきっと意味がある」という、苦しみを乗り越えるニュアンスがあるんです。
言われたくないことばといえば、「つまらない」かな。
チアの練習をしている時も「ダメじゃないんだけど、なんかつまらない」みたいに言われると、ガクッときます。英語で言ったら「Not but can be better.」とかになるんでしょうか。
「つまらない」と思われるということは、パフォーマーとして、私が表現していることが伝わっていないということです。良いとも悪いとも思ってもらえない、どういう方向であれ相手の心を動かせていないということですから、それは悲しいですよね。
アメリカでよく注意されていたのは、「何も発信しないでいると、『この人は何も考えてない。興味がない』と勘違いされるよ」ということ。
英語がちゃんと喋れるかどうかよりも、まずは自分の考えを表現しようと試みることがとても重要です。
いつの世も人と人がかかわる限り、“ことば”を使う機会は決してなくならない。
帰国後、初めて触れる日本のビジネス社会に戸惑いつつも、西村は果敢に自分自身の役割を探す。
一時期はあれほど「もういいや」と思っていた英語。
しかし4年間のアメリカ生活で身につけた英語力は、既に彼女にとって大きな“武器”となっていたようだ。
西村は今も子どもたちにチアの楽しさを伝える活動を行っている。
アメリカでは言語の壁を乗り越えた西村だが、現在は世代を越えたコミュニケーションに悪戦苦闘。
「なかなか満足に伝えられない」と嘆く西村だが、その表情はどこか楽しげでもあった。
西村樹里を表現することばは?
「passionate(情熱的に)、loyal(献身的に)、optimistic(気楽に)」かな。
ディレクターから「自分を3つの単語で表現しなさい!」という課題を出された時に、思いついたんです。
今は私自身がチアリーダーとして舞台に立つ機会はほとんどありませんが、子どもたちにレッスンをしています。
私はチアの魅力や楽しさが伝わればいいなと思ってやっているけど、子どもたちは“大会で勝つこと”を目指しているから、「どうやったら勝てるか。勝つために大切なことは?」という視点で指導しなくちゃならない。
だからただ「楽しい楽しい」だけではダメで、やっぱり時には厳しいことを言う時もあります。
でもそれが「皆の目標のために必要だから言っているんだよ」ということは必ず伝えますね。
相手が子どもであるからこそ、自分が与える影響を考えれば「どんな“ことば”を選ぶか?」を考えることは一番重要だと思っています。
仕事の上でもそれは同じです。
今は外資系の広告代理店に勤務していますが、クライアントの想いを汲み取って、どうやって形にしていくかを考えるのに、“ことば選び”にはとてもこだわります。
一人ひとり状況や環境が異なる相手に対して、どうすれば私の想いを満足に伝えられるのか。
また、相手が言わんとしていることをロスなく受け取るにはどうすればいいのか……
毎日それを考えて仕事をしています。
西村樹里のまなざしから伝わるのは、どんな状況でも挑戦し続けるという信念。
楽しい時も苦しい時も、常に前進してきたからこそ今の彼女がある。
「No dream is too big, no challenge is too great.」
(どんな夢も大きすぎるということはなく、どんな挑戦も偉大すぎるということはない)
ハードルを乗り越えるには、自分ひとりの力だけではなく、周囲のサポートを受けることも時には必要である。
“自分の想いを伝える”ために“ことば選び”にこだわる西村。
『英語ことば選び辞典』は、彼女のように英語での自己表現にチャレンジするあなたを支えるための一冊だ。
英語が世界中でスタンダードなコミュニケーション手段となっている今、『英語ことば選び辞典』をいつでもあなたの傍らに携えておいてほしい。
この辞典は、“世界”と“あなた”をつなぐ架け橋だ。